トルコシリア震災支援
トルコ南東部とシリア北西部に起きた大地震から今日で一ヶ月が経ちました。
月は暦ですが、あの日から徐々に欠けてまた膨らんで満月の頃を迎える今、一ヶ月がより鮮明で明確でリマインダーのようで重苦しく感じます。
真っ暗になった被災地に、人々を照らすように月が煌々としていたのかという想像には反して、あの日は雨天曇天で、そんな天の光さえ届かなかったのかとおもい、また重い気持ちになるものです。
気温もまだとても低くて、雨、雪、寒さが人々を苦しめました。
今は晴れ続きで、最高気温13℃~20℃ 最低気温3℃~12℃ くらいになっているようです。
穏やかな天気が復興の後押しになっていればと願います。(それにしてもアナトリア内陸部の気温の変化はすごい…)
起こってしまったことは仕方のないこと、天災は防ぎようのないこと、なのですが、ただ今回の被害は、建物の脆弱性に起因するものも大きいのではないかというところで人災多数とも捉えられています。
建物強度が整わない建築にはオッケーを出さなかったある地域は1棟も建物崩壊がなかったそうです。
現地の友人とやり取りをしていると、テレビで日本の耐震技術を紹介する番組をしてるよ、とも話していました。
お店ではトルコに関することが多いことと、私自身友人が被災地にごく近い県に住んでいることもあり、何かできないかとトルコブレンドのグラノーラを作って、その売上金の全額とお店に置いた募金箱の合計¥255,000を駐日トルコ大使館に送金しました。
本当にたくさんの方にご賛同いただけて、いち日本に住む日本人として、嬉しかったです。
だけど、グラノーラの予約がたくさんになったのでそのやり方での支援を締め切ったところ、グラノーラがないんだったら今回はいいです、と言われたりもして、すごく心がもやもやしました。
逆に、それとは関係なくさっと高額募金だけして帰られる方や、小さい男の子や女の子が募金しにきてくれたり…
私は私なりに、「人間」というものを感じさせてもらいました。
集まったお金が大使館を通じて、トルコの災害緊急事態対策庁(AFAD)に届くということを信じて義援金の送り先をこちらに決めました。
現地の友人もそれが一番ストレートだと思う、と話していたことと、駐日大使館に集まった義援金の額というのが「日本からこれだけの支援が届きましたよ」という指標になりやすいと考えたからです。
国と国の関わりはとても大切です。
困ったときはお互い様、の支援は人の心に残るし、記録に残ります。
目に見える数字やパフォーマンスが外交においては評価対象にされがちだと感じています。
同時にシリアへの支援はとても悩みました。
トルコを通じてのルートでシリアへの支援が行われるということも聞いたので、そちらに微力でも届いてほしいと願っています。
同じタイミングで痛みを負いながらも「国境」という線により優劣がついたり不平等があるのは人道的にはおかしいことです。
世界の様々な地域で、目につくだけでも暗いニュースのほうが多くて、考えると胃が痛くなります。
個人ではどうしようもないことばかりです。
このラバーリーという店は、紛争や問題を抱えている地域にも(に、こそ)美しいものがある、ということを感じていたので、この世界の美しさ、手仕事の味わいや唯一無二であることを伝える場であればと始めたのですが、最近はそういう光の部分のほうを人々が注目着目しているようで、なんだか扱いが軽く感じられて、そうなってくると、「いやいや違いますよ。ここの人たち大変なんですよ。」とまた闇を引っ張り出して水を差してしまいたくなるのです。
『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』
『国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障および公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない』
日本という国で自分がどれだけ守られているのかと感謝再考するとともに、この2項が多くの地域でなされる努力をされることを願っています。